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registration 日本におけるモダン・ムーブメントの建築
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日本製鉄八幡製鉄所ロール旋削工場(現:日鉄ロールズロール加工工場)
- 村野藤吾
- 日本製鉄八幡製鉄所ロール旋削工場として、村野藤吾の設計により1941年に建設された鉄骨造の建物である。村野が設計したことは、京都工芸繊維大学美術工芸資料館所蔵の当該建物の図面資料が決め手となり、2017年に判明した。 鉄板を鋳造する際に上下で鉄板を挟む巨大なロールを製造するための工場である。1937年10月から鉄鋼工作物築造許可規則が公布され、軍や軍需産業のために必要な施設などの例外を除いて、鉄骨造や鉄筋コンクリート造の建物の建設は禁止されていたが、当該建物は、まさにその例外に該当する。八幡製鉄所は戦時中の日本の軍需産業を支える上で極めて重要な施設であったため、例外的に建設されたと見られる。 当該建物の屋根の架構は、棟の中央で鋏のように交差し、さらにそこから上部に向けてV字型に伸び上がり、その両側に窓が設けられて採光できるようになっている。この屋根架構を持つ棟が、高さを変えながら3つ連続して並んで建っている。作業内容や工程により作業エリアが3つに分かれているためであるが、3棟は壁で隔てられずに内部で繋がっており、したがって3つの棟を合わせて1つの建物となっている。 圧延のための巨大な鋼鉄製のロールを旋削するための当該建物では、採光が重要になる。そのため、採光の取りやすいこの架構形式が採用され、また3つの屋根の高さの違いによってよりよく採光できるようにしていると考えられる。すなわち、この屋根の架構形式と3つの屋根の高さの違いは、デザイン上のものではなく、作業上の採光を十分得るためのものだと考えられる。 この屋根架構は、アメリカの建築家アルバート・カーン(Albert Kahn)が1930年代に設計した工場の建物に採用されているのと同じ形式である。村野がカーンの架構形式を雑誌や書籍などで見て参照したと思われるが、管見では、高さの異なる3つの屋根が連なる形式はカーンの作品には見られない。カーンが考案した架構形式を流用しながらも、村野が工夫し独自の建物として設計したと考えられる。 当該建物は、鉄骨造によるもので、外観上は装飾を排しており、内部では鉄骨をむき出しにして構造体の美をそのまま表現している。またロール加工工場としての機能性を重視し、それを必要最小限の材料で実現するという合理性を追求したものでもある。日本の戦前期のモダニズムを体現する建物として捉えることができる。そのことは、戦中期にあっても、敵対する関係にある国の建築や技術の影響を受けながら、日本のモダニズムが発展していたことを意味している。日本における戦前期から戦中期にかけての建築文化のありようをよく示している。 また当該建物は、ロール加工工場として、竣工当時から現在もなお24時間稼働し続けている。壁面や屋根面の外装材は、オリジナルがほとんど刷新されているようだが、構造体や建物の輪郭、内部は当時の姿のまま使われ続けている。非常によくオリジナルの姿を留めている。当時の戦時体制下の日本の社会に必要不可欠な施設だったが、戦後も日本の復興や高度成長期の発展を支えた施設であり、現在の社会を今もなお支え続ける重要な施設だと言える。
- 1941
- 福岡県北九州市