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registration 日本におけるモダン・ムーブメントの建築
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- 谷口吉郎
- 地元住民
- 島崎藤村を記念するために地元民が計画し、詩人・野田宇太郎(1909-84)の仲介で谷口吉郎(1904-79)が設計した木造平家の建物。敗戦直後の混乱期ということもあって、地元の材料を使い、地元民によって建てられた。当初本陣 の復原も検討されたが、谷口はあえてそこを空き地とし、砂を敷くだけにして往時を偲ばせることにした。そして、その端に細長い建物を配した。入口の冠木門 を入ると腰が石張りの漆喰壁があり、そこを右に曲がると、壁の下を透かした記念堂の入口に誘われる。この建物は一見ただの和風建築に見えるが、奥に行くにしたがって暗くなるように明かり障子を配し、その最奥部に藤村の木像が左からの光に照らされて浮かび上がるという趣向になっているだけではなく、漆喰壁や 障子で構成される空き地側の立面では、両端の漆喰壁の間にある柱を空き地側だ け塗り籠めることによって、立面両端に横長の長方形をつくりだし、立面を引き締めているなど、周到な配慮が施されている。大磯郷土資料館に残るこの建物の 計画案では、真壁にして、等間隔で並ぶ柱をすべて見せており、それと比較することから実施案の立面が考え抜かれたものだったことがわかる。一見あたりまえ の伝統的なモチーフを、プロポーションを整えながら配することによって、引き 締まったデザインに仕立て上げるという、谷口らしい「知的」な操作が見てとれ る傑作である。谷口は、この建物と慶應義塾大学校舎「4 号館及び学生ホール」により、1949 年度創設の日本建築学会賞(作品)の最初の受賞者になった。
- 1947
- 岐阜