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registration 日本におけるモダン・ムーブメントの建築
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- 岸田日出刀・丹下健三
- 大林組
- 倉吉市庁舎の設計に携わった丹下健三は、世界的にも著名な日本を代表する建築家としてよく知られており、広島ピースセンター(広島平和記念資料館・平和記念公園 国重文 1952年)や香川県庁舎(1958年)、国立代々木競技場(1964年)など、既に7件がDOCOMOMO Japanの選定建築に選ばれている(なお、岸田日出刀の関与した事例に既選定のものはない)。 倉吉市庁舎の建つ山陰地方は、東北・北陸地方ほどではないにせよ、降雪の多い気候・風土であり、この地域性(ローカリティ)に適応するためにキャンティレバーで軒の出の深い庇を備えている。庇(バルコニー)は各地の庁舎建築において日照を調整する装置として多く取り付けられ、片コア・中庭を設けるといった特質と共に「昭和の大合併」を背景に全国に及んで多数建てられた1960年代の庁舎建築の機能面において特徴的な設備であった。これらを倉吉市庁舎でいち早く実践していることは重要であり、加えて「市民ホール」(パブリック・スペース)を導入し、今日の庁舎建築にも通じる普遍的性格を実現した先駆的な事例であることにも注目できるだろう。 半外部空間となるピロティと内部を縦貫する中庭による「流麗な空間」が織り成されていることに本作の審美性を認めるところであるが、既に選定に及んできた丹下健三の建築作品に顕著な造形性・審美性と比べれば、少なからず劣る面が否めないという見方もあるだろう。しかし、倉吉市庁舎に先進的に見ることの出来る後年の庁舎建築に認められる特徴の数々には、これまで多く丹下健三の建築作品が審美性ないし技術的な革新性で評価されてきたことに対して、普遍性という面で異なる角度より評価できることを意味するものといえる。 倉吉市庁舎は庁舎建築として初めて日本建築学会賞(1957年度)を受賞し、戦後日本における最初期の本格的な庁舎建築として高い評価を得てきた建築作品である。本作に先立つ庁舎建築には、同じ丹下健三設計の清水市庁舎(1954年)や日建設計工務株式会社(現・日建設計 担当:林昌二)設計の掛川市庁舎(1955年)が知られるが、いずれも現存しないことが本作の歴史的な重要度をより確かなものとしており、さらに倉吉市庁舎は内外に及んで創建当初のたたずまいが概ね良好に守られてきたことも高く評価できるものである。 以上のことから、倉吉市庁舎は日本におけるモダン・ムーブメントの系譜上にあって重要な位置付けにある建築作品といえる。
- 選定プレート贈呈済
- 1957
- 鳥取